「僕たちは歩いてゆく。」第四話:混乱と決意、たかが旅なのに

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駅のホームで一人、考え事をしようとしてもまったくまとまらない。先生との会話でここまで頭の中がぐちゃぐちゃになったのは、実は初めてのことであるように思う。いろいろ面白い話を聞いて、興味深い知識に触れて楽しかったというのは、これまでにもたくさんある。先生の専攻分野であるプロレタリアについての学識を諭してもらっている時と比べても、はるかにその衝撃は強い。
それは決して、先生が何か琴線に触れる言葉を使ったわけでも、胸の内をぴしゃりと当てたわけでもない。
それなのに、こんなにも考えさせられるのはいったいなぜなのか。自分でも分からないところが気持ち悪い。吐き気がする。まだ二日酔いの時の方がマシだ。原因が分かっていて対処法も知っている。リバース、なんてかわいい言葉を使ってもダメ。いっそさっきの飲み会の時間までリセットしたくなる。
俺は混乱しているのか、それとも興奮しているのか、それすらも分からない。もしも興奮しているとしたら、しかしそれでも今の状態は変だ。どこかおかしい。遠足の前の夜に寝つけない小学生だってこんな違和感を覚えないだろう。
それが先生の魔力なのかとも思ったが、おそらく違う。じゃあなんなのだろう。虫が知らせているのだろうか、希望でも抱いてしまったのだろうか、でなければさっき飲みすぎたのだろうか。
常識的な考え方からすると、おそらく一番後者が正解に近いのだろう。ただ、常識と一くくりにして他の可能性を否定してしまうのも、それは俺の流儀に反する。『視野は広く持て』というのが高校時代の教師の教えだった。守らなくちゃいけない、と思った。

「旅、ねえ」
電車を目の前で乗り逃がしたので、次が来るまでまだ二十分程度ある。その間、ホームの上で一人待つというのは、いささか酷なことである。が、今は逆に一人でいる方がいいような気がした。
「旅をするというのは、よく分からないけれど、面白そうではある」
一人ぽつんと呟くと、どこか寂しかったけれど、言葉として口から紡がれると、なんだかそれが大事な命題のような気がしてくるので不思議だ。考えもまとまりやすくなる気がする。
先生の言うとおり、旅にでたとする。そこで俺は何を求めて、何を成そうというのだろうか。一般に、理由があるからこそ旅をするものだ。
旅をしていくうちに目的をもつ、というのもまた一つの旅の姿なのだろうか。それならば、旅をして途中で目的を見つけてもいいということになる。別に間違ってはいないけれど、生産的ではない。
旅に生産性をもたせる意味はなんだろう。なぜもたせようとするのだろう。そこからして、今の俺には不思議でならない。
和樹が懐かしいなぁ、と思った。高校時代の友人で、大学入ってすぐに失踪してしまった。二人で大学から駅に向かう途中、水溜りを見たと思ったらいきなり『俺は鳥になる!』と叫んで走り去った彼の後姿が、今でも忘れられない。それからしばらく姿を見なかったのだが、失踪したのだと別の友人から聞いたのはそれから数ヶ月も後になってからだった。

「旅にでも出たのかな?」
もしもそれが本当ならば、それほど素晴らしいことはないと思った。特に理由はないけれど、言葉を口にした瞬間、頭に浮かんだ単語が『素晴らしい』だったのだ。
つまり、俺は旅を望んでいるということのだろうか。もしかしたら、今の自分の状況に嫌気をさしているのかもしれない。
そう、俺は、なぜこの場所に立って、ここで生活をし、今の仲間と共に生きているのだろう。生きる上ではまったく関係ないし、考えたところで変えることのできない命題ではあるが、考えるには十分価値がある。
酔っ払いの頭だから、何を考えているんだと自分自身にツッコミをいれることもできる。そんなことを考えてどうするんだ、失礼じゃないか、と叱咤することもできる。今だから、できる。
だったら、みんなで旅にでればいいじゃないか。何も旅は一人でするものじゃない、みんなでしたって悪くはない。
そして見つければいいんだと思う。旅をしながら、なぜ自分は旅をしているんだろうと考えるのも、一興ではないのか。
それに。俺はホームの向こうに沈む街並を眺めた。暗く濁ってやる気の欠片も見えないそれが、どこかいいなと思っていた。東京が好きだと言った浦町を思い出す。そうだ、浦町たちと一緒に旅をすればいい。今俺が仲間だと思って一緒に行動しているやつらを誘って、みんなで旅をすればいいんだ。きっと楽しい。
何も見つからなかったら、それはそれでいい。結局そういう旅だったと思えばいいだけの話であるし、出発する前にこうやってあれこれ考えていたのが馬鹿らしくなるくらいの旅にしてしまえばいい。

 

 

旅にでよう。
誰も知らない、どこか遠くへ。

決意するまでに、時間はいらなかった。これが酔っ払いの凄いところ。なんでも即決、迷わない。
ズボンのポケットが震えた。携帯電話のバイブだった。
「あ、もしもし?」
電話の主は、非常にテンションが高いようで、きゃーきゃーと高い声を出しながら笑っていた。
浦町だった。
「なんだよ、今日はデートじゃないのか?」
「え、なんで知ってるの?」
「いや、そういう気がしただけなんだけどさ」
そういえば、髪を無造作ヘアーにしたまま彼氏に会ったのだろうか。似合っていたからいいか。
「まあそうなんだけどさ。デートももう終わったんだよ。彼氏、終電早いから」
「一緒にどこか泊まればいいじゃん」
「なかなかそうもいかないんだよね。あっちは実家暮らしでさ。親がうるさいらしいんだよ。彼女ができたってことも、まだ言ってないみたいだし」
そりゃそうだろうな、と思った。俺も彼女ができたとしても、すぐには話せない。
「平岡は彼女できないの?」
「できないって言うか、つくらないって言う方が正解かもな。出会いはあるけれど、特につくりたいって思ってるわけじゃないし」
「早くしないと、人生枯れちゃうぞー」
甲高い声で笑う浦町の声を聞いて、そうとう酔っ払っているんだろうなと感じた。ビンタをしていなければいいけれど。

「それで、どうした? 何か用か?」
「別に用ってわけじゃないけどね。すぐに家帰っても、一人暮らしだから寂しいじゃん。だから今バーでお酒飲んでるの」
「そのわりには後ろが結構騒がしいな」
「イベントやってるみたい。声かけてくる人もいるんだけどさ、みんな自分は金を持ってます、だから貴女を買います、って感じの連中ばっかりで。うんざりしたからこうやって電話して時間潰してるってわけ」
「ちょっと時間がもったいない気がするぞ」
「別にわタシはいいと思うけどな。無駄って削減しなくちゃいけないけれど、なくしたらなくしたで寂しい気がする。一度しかない人生だけどさ、逆に詰めこみすぎるともたないと思うんだけどねー」
そこまで言って、からんと氷がグラスにあたる音がした。
「電話しながら酒飲んでるのか」
「うん。今は焼酎ロックを飲んでるよ」
「どれくらい飲んだんだ?」
「百から先は覚えてないなー」
嘘つけ。

風がいくぶん冷たくなってきた。まだ秋とはいえ、夜になるとどんどん寒くなってくる。現にもうジャケットを羽織っているし、杏山先生にいたってはマフラーさえしている。うつろな目をして歩くサラリーマンも、肩をすくめながら足早に歩いていた。
「そういえばさ、太宰読んだ?」
「あー、わるい、まだ読んでないんだ。今日の杏山先生の授業がなかなか楽しくてさ」
「うっそー、わタシもいけばよかったなー」
「いけばよかったのに」
「後の祭りじゃ」
そう言って笑う浦町は、どこか楽しそうで、どこか悲しそうだった。声だけじゃわからないけれど、ところどころにある言葉の『間』が、そう思わせるのかもしれない。
「なあ、浦町。最近何か辛いことでもあったのか? なんかあまり元気がないような声に聞こえるんだけど」
「そうかな? さほどそんな辛いことなんてないんだけどなー」
そこで浦町は一度酒をあおって、何かを注文したようだった。
「今度は何飲むんだ?」
「スクリュードライバー。焼酎はもう飽きちゃった」
ふう、と浦町は深くため息をついた。

「いやね、最近あんまし彼氏とうまくいっていないんだよ。すれ違いっていうのかな、考え方とか価値観とか好きなものとかが若干ずれてきたんだよね。もちろん歩み寄ろうとはしているんだけどさ、どうしてもダメな時って、ない?」
「あるかもしれないけれど、俺にはなんとも言えねえよ」
「そっか、そうだよね」
乾いた笑いをする浦町がどこか気の毒で、むしょうに旅に誘いたくなった。
「なあ、今度みんなで旅にでないか? 気晴らしにもなるだろうし、学生のうちにしかできないんだから、きっと楽しいと思うぜ」
「あっ、いいね。行きたいかも。いつぐらいに行くの?」
「まだそのあたりは決めてないんだ。今日授業が終わった後に杏山先生と飲んでさ。それで旅をしたらいいんじゃないかって言われて、旅にでることにした」
「へー、平岡らしくもない」
「どういう意味だよ、それ」
「平岡だったら、例えば面倒くさいって言うかもしれないし、今のままで結構ですからって言うタイプだと思っただけだよー」
どういうタイプだ、それ。
「旅にでるんでしょ? てことは自分探しってことじゃないの?」
「自分探しじゃねーよ。知ってるだろ、自分なんて探したって見つからないって」
「当たり前じゃん。だからわタシ、自分探しの旅になんてでたくない」
「だから、時間の無駄をしにいこうと思って。時間の無駄だったら、してみたいだろ?」
「うん、むっちゃしたいよ」

そこで、ホームのアナウンスが流れた。電車がもうすぐ来てしまうらしい。
「あれ、今、駅だったの?」
「おう。もう少しで電車来ちゃうみたいだ」
「あー、そっかー、ごめんね、電話につき合わせちゃって」
「いいっていいって。減るもんじゃないし。じゃあ浦町、みんな誘うからお前も来いよ!」
「どこに?」
「旅だよ、旅!」
そう言って、俺は強制的に電話を切った。先ほどよりも爽やかな興奮が、体全体に滾っていた。

本格的に、旅の準備をしよう。期間は決めない。帰りたくなったら、帰ろう。ノープランで気ままに生活するのも、悪くない。
言の葉の精霊がいる、という話を聞いたことがある。まんざら嘘ではないな、と思った。こんなにもやる気になったのだから。
明日、みんなも誘ってみよう。全員が集まるとは思わないけれど、結構な人数が揃いそうな気がする。
すごく楽しみだ。素直にそう思えることに感謝を、迫りくる未来に聖杯を。

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