「僕たちは歩いてゆく。」第五話:刑務所と学校は同じ原理だ

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「先生、俺、旅に出ることにしました」
決意を固めてから一週間が過ぎた。その間に、三上さんを誘い、池田氏を誘い、浦町を説得してまわった。
面白かったのは、皆が口を揃えて同じことを言ったところである。

『杏山先生も来るの?』
先生の人気ぶりに、嫉妬の色を隠せなかったのはここだけの話である。

羨ましい、というのももちろんあるが、それ以上に大学教授としてここまで慕ってもらえる人がいる、そのことに素直に感動し、また畏敬の念を抱いたのだった。仮に自分がもしも大学教授になった時、このように自分を好いてくれる学生がいるだろうか。そこには茫漠とした期待と、薄暗い不安が織り交ざった、奇妙な想いがあったのである。白地に黒と赤のマーブリングだったものが、油彩じゃなく水彩だったので混ざり合って、そこに白をスパッタリングしたような感じの、混沌としてぐちゃぐちゃだけれど鮮やかな色彩が、胸の内にあった。

「そうかそうか、決心したのか」
先生は教員ロビーの古臭いソファーに深々と座り、荷物を鞄に詰めながら楽しそうに言った。六限後のロビーに人はなく、受付のお姉さんが忙しそうに下を向いている他、誰もいなかった。空調以外の物音もしない。隔離されたような空間と、黄ばんだ天井や壁が、どこかアンバランスな気がした。
「はい。池田氏や三上さん、浦町も一緒にいくことになっています」
先生の同行に関して曖昧な返事をしたものの、『旅』という言葉に魅力を感じたのか、全員すぐにオーケイをだしてくれた。正直、ありがたかった。もしも一人だけで旅となると、俺は挫けていたかもしれない。
「先生は来るんですか?」
「僕は無理だなあ。行きたいんだけどね。ちょっと〆切とかいろいろあって、思うように時間が取れないんだ」
そう言ってくしゃくしゃ頭を撫でる姿が、どこか可愛らしくも小憎たらしいと思った。もっと強く言いたかったけれど、やめる。いなくちゃできないわけではないし、無理強いもできない。
それに自分を試すいいチャンスでもあるのだから、これを利用しない手はない。断っておくと、別にやましい気持ちはないわけではないが、仲間を裏切る真似はしないというのが俺のポリシーなのだ。だから、変な意味じゃない。

「代わりに」先生は言った。「僕の助手を同行させてあげてくれないか? 平岡と同学年の子なんだけど、物分りもいいし、知識もある程度あるから、きっと役に立つと思うよ」
「なんの役ですか。別にサバイバルに出かけるわけじゃないんですよ」
「旅にでて、文学の話で盛り上がるというのも、一興だと思わない?」
思います、はい。確かに素敵な話だとは思う。みんなでのんびり歩きながらだべるのはもちろん楽しいが、ご飯や酒の席でそういった会話を弾ませるというのは、たぶん想像以上に楽しいことなのだと思う。
「彼女なら僕の連絡先も知っているはずだし、何かあったら彼女から僕に連絡をするといいよ。それなら僕も平岡たちも安心だろう?」
「そうですね」

そこで、すっと教員ロビーの扉が開き、現れたのは紺のキャスケット帽だった。
「あ、前島だ」
思わずすっとんきょうな声をあげてしまった俺を、同じくすっとんきょうな顔で返してきた彼女は、どこか複雑そうな、しかし嬉しそうな表情をしながら小走りで近づいてきた。
「おお、前島さんじゃないか。ちょうどいい、ちょっとこっちにきなさい」
「な、なんですかいきなり、先生」
長い後ろ髪が、首と腕の動きにあわせてゆらゆらと揺れる。動きまわる視線が、外敵を察知しようと警戒している小動物のようだった。
「前島さん、平岡たちと一緒に旅に出たらどうかな?」
「旅、ですか? どうしてそんな話になったんですかね」
彼女の肩が軽く震える。しかしその手はしっかりと胸にぶらさがるカメラに移動しており、おそらく旅に出て写真をたくさん撮りたいと思っているのだろう。おかしなやつだ。
「いやね、君も行くときっと楽しいんじゃないかなと思ってさ。ほら、今もカメラを握りしめているじゃないか。実は、興味はあるんだろう?」
「べ、別にないとはいっていませんけど」
彼女は別にツンデレではないんだからね。どうしても前島の台詞がツンデレさんの言葉のように思えて、無意識のうちに笑ってしまった。
「ひ、平岡くん! なんで笑うのさ」
「いや、別になんでもないよ。うん、なんでもないんだからね」
ケタケタと笑う姿に、前島は若干機嫌を損ねてしまったようだ。眉毛がわずかに寄っている。
「わるいわるい。本当になんでもないんだ。ただ、なんていうのかな、一緒に来たらさぞや面白いんだろうなと思うと、今から笑いがとまらなくてさ」
ナイスフォロー俺。でも、おそらく自縄自縛にしかならないのだと思う。
「ま、それならいいけどね。慣れてるし」
ほら、予想通り。
「よし! じゃあ決まりだ。前島さんも旅に同行するということで!」
「ちょ! ちょっと待ってください先生。まだ誰も行くなんて言ってませんよ!」
「行きたいんだろう?」
「い、行きたいですけど」
「じゃあ決定だ」

こういう時、『先生』というものは強いなと思った。俺じゃあこんな強引に言ったところで拒否されるのがオチだ。
小学生に入った時から先生=神のような教育をされてきた自分たちにとって、『先生』という肩書きをもつ者に対して反抗するという行為は、成績にも影響するのもあるけれど、とかく面倒くさいことになりがちである。例えば、親の説教とか。
恨めしいなと思いつつ、しかしそれは学校という場所が機能するためには必要なことだったのだろう。

そもそも、学校は刑務所と同じ原理でつくられたものだ。少数が多数を支配し、多数に番号をつけて管理し、多数を訓練するという意味で、その二つは同義である。フランス革命の後に教育制度が本格的に整備された、という話が聞いたことがあるが、バスティーユ牢獄と校舎が同じ雰囲気を醸しだしているのだと思うと、いささか嫌悪感がこみあげてくる。気持ち悪い。
だから今の教育現場において、学級崩壊の低学年化とか、学級王国と呼ばれるように不透明さを払拭できない現状があるのだ。

「おーい、平岡くん、何をぼーっとしているんだい?」
「んあ?」
自分で聞いて分かるくらい呆けた返事をかえしてしまったことに、わずかに恥ずかしさを覚えた。
「なんかぼーっとしてたけど。大丈夫?」
「わりぃ、ちょっと考え事してた」
「浦町さんと平岡は、なんだかどこか似てるよね」
嬉々と話す先生は、すでに帰り支度を終えて、ソファーから腰をあげていた。
「自分の世界に入ると止まらないというか、閉じこもるというか。うん、悪いことじゃないと思うよ」
「そうですか。アリガトウゴザイマス」
誉められる理由を量りかねて、思わず棒読みになってしまった。そこがまたたまらないらしく、先生は大きく笑った。
「それじゃ、そろそろご飯を食べに行こうか。いつも十二時くらいにお昼ご飯を食べるから、この時間になると腹ペコになってしょうがないよね!」
賛同を求められても、十四時くらいに昼ごはんを食べている自分からしたら返事をしかねるのですが、と心の中で呟いた。まあ、もう二十時になっているし、それだけ時間が経つと、先生くらいの歳では辛いのかもしれない。歳はとりたくないものだ、とぼそっと呟くと、先生の眉がかすかに揺れた。聞こえてしまったのだろうかと心配になったが、単に前髪がこそばゆかったようだ。

外はもう薄暗くなっているだろう。そろそろ風が強くなってきた時期でもあるし、木々はうるさく暗闇の中で自分の存在をアピールしているに違いない。忘れないで、私はここにいるよ、と言いたそうに。
秋は好きだけれど、そういうところでたまに悲しくなってくる。秋は昼が似合う。読書をしたり、焼き芋を食べたり。思いつく楽しさは、たいてい昼間の匂いがいっぱいつまっているように感じるのだ。
もちろん十五夜は別として、秋の醍醐味である少し侘しい風景というものは、うっすらと明るい午後のやわらかい日差しの下にあるものだと思う。
『侘び寂び』という言葉を、茶道をやっている知人から聞いた。侘び寂びの心を知るには、ゴージャスなものへの憧憬や敬意を感じることが大切なのだという。ゴージャスとは反対の位置に属する侘び寂びは、そこから離れたものを知るからこそ余計に身に染みいるもの、だそうだ。

「平岡、今日はどうした? 心配事があるのなら先生に相談してごらんよ」
「あー、いや、秋になると物思いに耽たくなるというか、そんなもんですよ」
「変なの」
「前島に言われたくないな」
なんだとー、と拳を振り上げた彼女は、しかしそこから動くことはないと知っているため、まったく怖くない。鉈でも持っていたら迫力が違うのだろうが、社会の常識というものを知っている前島は、それでも理性に従うのだろう。真面目なやつだ、と思った。

「他の人は、今日は来ないのかね?」
「来るんじゃないですか? 池田氏たちは生協に寄って本を買いにいくって行ってましたし。ちょっとメールしてみますね」
ポケットから携帯を取り出して、Bccで皆にメールをまわした。先生がすっごく寂しがっている、だから急いで校門に集合だ、と。
「僕も助手に電話してみるよ。旅の当日に初めて顔をあわす、というのもアレだろ?」
先生は鞄から傷の多い携帯を取り出した。見たことない機種で、俺と前島は揃って顔を見合わせた。
「先生、それどこの携帯ですか?」
「auだよ。ずいぶん古いやつなんだけど」
「ちょっと見せてくださいよ」
先生の返事を待たずにその手から携帯をひったくって、前島のまえにかざした。

「うわ、先生、これあれでしょ、着うたとか使えないでしょ」
「着……うた? なんだいそれは?」
「えー、先生、知らないんすか!」
いくら文明の利器に疎いとはいえ、それくらいは知っていると思った。これはジェネレーションギャップと言っていいものかどうか、なんてくだらないことを考えてしまうくらい、俺は驚きを隠せなかった。
「しかもこれ見たことないですよ。CDMAシリーズですか?」
「いや、それはプリペイドのやつなんだよ。メールはパソコンですればいいし、電話の機能だけついていればいいかなと思ってさ」
パソコンがあればいいんだよ、と言って、先生は照れているように頬を右の人差し指で小さく掻いた。
「月額どれくらい使っているんですか」
「んー、十ヶ月で一万円使いきるくらいでおさまってるよ」
もしもこれがゲームの世界であったのなら、俺と前島の頭上にはエクスクラメーションマークのふきだしがピコンと現れているに違いない。先生、いくらなんでもそれは。前島の表情が、今言いたいことを物語っていた。

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