「僕たちは歩いてゆく。」第三話:プロレタリア旅

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「ああ、平岡くんに三上さん。二人で一緒に教室へ入ってくるなんて、珍しいね」
六限がはじまる十八時ぴったりに三上さんと教室へ入ると、教壇の前には前島の姿があった。長い髪を後ろで束ねて、キャスケット帽子を深くかぶっている。杏山先生の姿はまだ見えない。
「相変わらずゲリラっぽいな」
「う、うるさいなぁ。ゲリラゲリラって言うな!」
前島は少し困ったように眉をひそめる。彼女の格好はいつもファッション性よりも機能性を重視しており、いつでも山登りができるのではないかと思えてしまう。
以前、杏山先生とみんなで飲んだ時、杏山先生が前島を見て『前島さんはあれだね、まさしくゲリラだね!』と発言して以来、俺たちのグループの中では彼女は「ゲリラ」である。
まさに。彼女の習性をみると、ゲリラという言葉がぴったりだったので、みんな納得してしまっている。
ただ俺は前島はゲリラではない、テロリストだ、と俺は勝手に思っている。彼女はよく自分で撮った写真や書いた文章をA4のわら半紙に印刷し、大学の掲示板に貼りつけてまわっているという。一度だけ見かけたことがあるが、妙にシニカルで面白かった。公園のベンチに寝転ぶ白猫の写真の横に『ちなみに、私はバッハです』というキャプションがついていたのが痛快だった。よく分からないけれども、妙に印象に残る。芸術テロリストだ、と思った。バンクシーを彷彿させる彼女の作品が、いつか都内の美術館所蔵にならないか、とひそかに期待している。

「前島さん、こんにちは。こんばんは、の方がいいんかな?」
「うーん、どうだろうねぇ。まだ日は明るいし……うーん、こんにちは、でいいんじゃないかなぁ?」
「じゃあ、こんにちは、前島さん」
「はーい、こんにちは」
少しマイペースな話し方が、やっぱり前島だなと思った。それでいて、写真を撮る時はきりっと真剣な顔をするものだから、そのギャップに初めは驚いてしまう。
「なあ、今日の授業、先生来ると思うか?」
「ぶっ! そんなの私に聞かれたって分かるわけないでしょ」
「ああ、それもそっか。いやね、さっきまで三上さんと先生来るかなって話してたんだよ」
「そうそう。かもめちゃんも一緒だったんだよ」
「かもめちゃん? ああ、浦町さんのことか。最近あんまし会ってないなあ」
授業にあまり来ていないようだから、それもしょうがないかもしれない。
「池田氏は?」
「実は私も見てないんだな、ははは。たぶん先生と同じくらいに来ると思うよ」
俺もそんな気がしてきた。そしてまず『あれぇ、平岡さんと三上さんと前島さんだ』と言うのだ。マイペース、もう一人。

教室の中は、広めであるにも関わらず、学生はそのキャパシティの四分の一もいない。もともと授業をとれる学生数は少ないらしく、この人数でも大体の人が来ているらしいのだ。
俺たち以外に喋っている学生はいない。寝ているか、本を読んでいるか、携帯を操作しているか、前のホワイトボードを呆けた顔で見ているか、のどれかだった。後期から授業をとっている人は、仲のいい人がいないようで、たまにちらちらと羨ましそうな顔でこちらを見てくる。
ういているな、と思った。どこかこの教室の中の空気に馴染んでいない。もう少し授業を重ねればそうでもないけれど、どうやらこの時期ではそうでもないらしい。羨ましいだろうへっへ、と言いたくなったけれど、やめた。阿呆みたいじゃないか。

「あれぇ、平岡さんと三上さんと前島さんだ」
ドアが音もなく開いて、顔を覗かせたその人物が声をあげた。予想どおりの台詞で、どこか嬉しかった。メガネの奥からちまっとした瞳がくるくると中を眺めている。
先ほどからみんなが『池田氏』と呼んでいたのは彼女のことで、本名は池田浅子(いけだ あさこ)という。俺が池田さんではなく池田氏と呼んでいたら、それがみんなに定着してしまったようだ。前島といい、池田氏といい、なんか申し訳なくなってくる時があるが、今さらなのでしょうがないか、ということにする。

「ん? 平岡さん、私の顔に何かついていますか?」
「目が二つ、鼻が一つ、鼻の穴が二つ、口が一つ、ついていると思う」
「えー、鼻と鼻の穴って別なんスか」
天然というわけではないが、彼女の思考センスは脱帽してしまうくらい研ぎ澄まされている、と思う。
「あ、杏山先生、まだなんですね。もう授業開始から十五分も経っていますよ」
「そうなんだよー、池田氏ちょっと呼んできてくれたりしたら嬉しいなぁ」
と前島さんが、まるで目の前に教祖がいるかのように、腕を顔の前でゆらゆらさせた。毒電波でも送っているのだろうか。俺にはわからない。
「私には大役ですよ。ここは平岡さんが行くといいと思われますが」
「むりむり。だって面倒くさいじゃん、そんなの」
「いつまで経っても授業はじまりませんよ、そしたら」
「別に、気にしなくてもいいんじゃないかな? 先生、きっと来るって」
と、三上さんが一番前向きな答えをかえしてくれた。このメンバーの中で一番まともなのは彼女かもしれない。
夜の帳が落ちてきて、窓の外から見えるキャンパスに人の姿はほとんどなかった。俺たちの時間が、始まろうとしているのだ。

「ってなことがですね、授業始まる前にあったわけなんですよ、先生」
「そうかそうか。いやあ、相変わらず浦町さんは自分のやりたいことを一生懸命やっているんだなあ」
と、うんうん頷く杏山先生を見て、怒るということをあんまりしないんだろうなと思った。むしろ怒らないのが普通だ。先生の思考回路を最小公倍数まで分解してみたくなった。
授業終わった後の飲み会が、さきほど終わり、今は杏山先生と一緒に駅に向かって歩いているである。メンバーは池田氏、三上さん、前島、先生と俺の五人。だいたいこのメンバーで毎週火曜日に飲んでいて、その日の授業の感想や、最近の出来事について語ったりしているのだ。
すでに時間は二十三時をまわっている。夜も更けてきたというのに、空はうっすらと明るかった。眠らない都会、という言葉をこういうところで実感する。歩道も駅に向かう学生たちで溢れており、みんな同じようなことをしているんだな、と思った。
前に、浦町が話してくれた言葉が蘇る。
『わタシの思う青春っていうのはね、学校の屋上で、彼氏じゃない男の子と一緒にフェンスに寄りかかりながら煙草をふかして、東京ってどんなところなんだろうって言い合うような関係と似ているような気がするんだ』
浦町のその青春は、しかし実際の東京を見てしまうと、ただの幻想にしか過ぎなかったと思う。少なくとも、憧れるような場所ではない。
地方から出てきた彼女は、しかしそれでも東京が好きだと言っていた。『このごちゃごちゃして汚いところが、わタシに合っている』と言うのだ。
俺はどこか悲しくなって、しかしどこかそれが浦町らしいとも思った。
「で、先生。さっきの話で気になったことがあったんですけど」
今日の話題はプロレタリアと白樺派についてで、先生の貴重な意見を聞くことができた。熱弁する時の先生は表情豊かで面白く、思わず『いよっ、やすしぃー』と合いの手をいれたくなるくらいだった。

杏山康(あんずやま やすし)客員教授。よくキョウヤマ先生と間違えて呼ばれるのが悩みの種なんだとか。どうでもいいようなことに悩むのも、それこそ浦町の言葉を借りれば『魅力的』なのかもしれない。どこか子供っぽい時があり、本当に教授なのか、本当に年上なのか疑ってしまうこともある。が、やはり学問の話をしている時の先生は、経験豊富なオトナなんだな、と感じる。もじゃもじゃ頭とうっすら生えている鼻の下の髭が、たまに気になったりする時もあるけれど、総じて俺の中では尊敬できる人の分類に入る。無邪気な一面に、さらに好感を持てるのだ。

「やっぱり、今度は教室で宴会やっちゃいましょうよ! そうしたら集団を実感できると思いますよ」
「おー、それいいね。実はね、僕も前々からやりたいと思っていたんだよ。一人一本お酒持ってさ、おつまみなんかも買ってきて。ほら、飲めない人はウーロン茶を持参すればいいでしょ。いいじゃない、楽しそうだ」
先生、教室は飲食禁止ですよ。絶対知ってるでしょ。OBなんだし。でもそんな縛りを気にせずに奔放と言うこの人が、やはりうちの大学卒なのだと思い知らされる。
「やっぱり平岡は面白いなぁ。僕が学生だった頃とはまた違った味をしたやつだと思うよ、うんうん」
「先生、それ誉めているんですか」
「あったりまえじゃないの! これでも結構応援しているんだよ、僕は」
「何を応援しているんですか」
「そりゃあ、ねえ、もちろん、いろいろだよ」
考えなしの発言だったな、と思った。でもそういうところがいい。
「にしても、平岡の考え方はちょっと気になる部分でもあるよ。なんていうのかな、そのちょっと冷め気味だけども熱くなることを望んでいるような思考の矛盾がいい。人間らしいと思う」
「なんすか、それ。俺そんな感じですか?」
と先生に聞いてみて、ふと思い返すと、確かにそんな感じなのかもしれない、と思った。現実を知っているからこそ、夢見がちになれない、というか。そんな感じがする。

 

「うん、そうなんだよ。きっとそうだ。だから平岡、一度旅にでてみなさい」
旅?
「あれっすか、『自分探しの旅』ってやつですか?」
「いやいや、そんなありもしないものを探す旅だなんて、馬鹿馬鹿しいじゃないか。もっと崇高な旅だよ。崇高じゃなくてもいい。とにかく旅をしてみるんだ。要はね、非現実な世界に身を置いてみればどうかなってことなんだよ。そうしたらきっと何か掴めるかもしれないし、自分なりの答えをだすことができると思うんだ」
先生が向こうでちょっと煙草を吸わないか、と誘ってきた。別に断る理由もない。
「前島さん、ちょっとそこで煙草を吸わせてもらうよ」
先生が前に向かって呼びかけると、終電無くなりますよ、という返事がかえってきた。
「大丈夫、二、三分で歩き出すから!」
「本当に二、三分で吸い終わるんですか」
「ま、アバウトなのもいいんじゃないかと思うよ」
軽くウインクをして、先生はズボンのポケットからLUCKY STRIKEを取り出して、一本、火をつけた。
「一緒に吸うといい。銘柄、GITANESじゃなかったっけ?」
「よく覚えてますね、先生。普通知りませんよ。ジタンって呼び方すら分からない人も多いのに」
「珍しいものは覚えているタイプなんだよ」

道端に移動して、火をつけると、苦い煙が、空気中に舞って、静かに消えていった。煙が口から飛ばされるたびに、自分の中で淀んでいた何かまで一緒にでていっているのではないか、と思った。
「それで」先生は言った。「さっきの話の続きなんだけど」
「旅ですよね。先生の口から『旅』なんて単語がでてくるとは思いませんでした。先生も旅をしたことがあるんですか?」
「もちろんだよ。昔は北海道にだっていったりしたもんだ。稚内方面はいいよ、道はまっすぐだし、警察さえ気をつければすごく開放的だしね」
「先生って車を運転できましたっけ」
「僕はいつも助手席さ」
先生らしいと思った。
「でね、いいプランがあるんだけど、どう?」
「なんですか?」
「うん。旅をするにはもってこいな場所があるんだ。僕も一度連れていってもらったことがあるんだけど、とっても不思議な場所なんだよ。びっくりした」
「ふーん……」
正直言って、先生のオススメはあまりあてにならない。言い換えればハプニングが続出する。以前、秩父に行った時は、花粉症になった人やハウスダストに苦しめられた人がわんさか出たくらいなのだから。
「行きたくなったら言うといい。教えてあげるよ。そこで、のんびりするといい」
「のんびりねえ。できるんですか、本当に」
「できるさ。それに、いつもの環境で生活をするんじゃなくて、旅をするからこそ見つかるものがある」
「希望とかそういうやつですか?」
そこで先生は、何が面白いのか、信じられないくらい大きな声で笑った。
「希望、ね。平岡からそんな単語を聞けるとは思わなかったよ」
「台詞をパクんないでくださいよ」
「いやいや、ごめんごめん。でもさ、じゃあ希望っていうのはどんなものだと思う?」
「……難しいですね」
煙を吐き出す。酔っ払った上に煙草を吸うと、頭の中まで白くなりそうな気がした。いい答えが思いつかない。
「そもそも希望なんていうのはモチベーションを維持するための偽りですよ。希望って言葉を使えば、なんか綺麗にまとめられた気がしますけど、実際はそうじゃない。ただ単に自分を美化しているように思うんですよね」
「平岡らしい答えだ」「先生は希望ってどんなものだと思っているんですか?」
「僕?」
先生は一度、長く煙草のけむりを吸うと、一気にこの闇空に向けて、吐き出した。
「うん、『希望』ってのはね、煙草よりも苦くて深いものなのさ」

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