「僕たちは歩いてゆく。」第七話:ドリームランド

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数分もしないうちに、一人の女性がひょいと顔を出した。先生が嬉しそうな笑みを浮かべたので、きっとこの人が先ほどの電話の主なんだろう。
それにしても先生、結構キレイな女性をはべらせていらっしゃるようですね。羨ましくはないけれど、誰が本命なのだろう、なんて関係ないことがふと頭によぎったのだった。
「あ、どうも」
遠慮がちにうっすらと笑いながら呟いた彼女は、ちまっとしているという印象をうけた。身長が低いというのではなく、どこか掴みどころがないというか、遠い存在のような気がして、わずかな寂しさと興味を抱いた。
「この子はね、一之瀬さんっていうんだ。ほら、自己紹介、自己紹介」
「はじめまして。一之瀬未来(いちのせ みく)っていいます。よろしくしてください。お願いします」
首だけわずかに動かしてお辞儀をし、しかし目だけはそらさない彼女が、緊張しているのかな、と思った。もしくは人見知りなのかもしれない。自分が壊れないように、壊されないように守っているよう。
ああ、そうだ、子猫だ。一之瀬さんの姿が、子猫のイメージとそっくりそのまま重なったのだった。親がどこかにいって、不安そうにじっとしている子猫。それならば、どう接すればいいのか、少し分かる。
「あれやね、みくちゃんってねこみたいってよくいわれへん?」
お酒がまわってきているようで、頭を揺らしながら、三上さんがのんびりと言った。おそらく二日酔いになるのだろう。俺もそろそろやばい。
「んー、別にそうでもないよ。あっ、でもたまに言われるかな。なんかねー、いろいろ言われるからさ、まあでも猫っぽいって確かによく言われる気がする」
話し方も、掴みどころがない。天然とは違う不思議系少女、君臨。でもそれは、おそらくこの集団の中においては馴染めやすいのではないかと思う。こんなに個性が強いメンバーが一堂に会することができているのだ、それくらいじゃないと張り合いがない。
「ああ、もう本当に大人数の旅になりそうですね。今から楽しみです」
池田氏が元気にガッツポーズをとった。自分でグラスにワインを注ぎ、再び一気にあおる。池田氏も二日酔い決定だと思った。
「待って、一之瀬さんも旅にでるって決まったわけじゃねーでしょ」
「え、旅ってなに? なんか面白そう」
きゅっと笑顔になって、身を乗り出してきた一之瀬さんは、薄いワンピースのようなアウターを、ひらひらと揺らした。そんな彼女を見て、しめたとばかり先生が口をはさんだ。
「――ああ、そうだね。一之瀬さん、君も旅にでたらどうだい? ここにいるメンバーで、今度旅をするんだよ。確か、一之瀬さんも彼らと同い年、だったよね?」
「あ、今いくつなの?」
と、俺と目線がぶつかる。丸くて深い瞳に、俺は一瞬目を背けたくなった。
「俺は留年してるから、みんなより一つ上だよ。今、二十三なんだ」
「ああ、じゃあ私の二個上ってことですね」
いやあお酒ってやっぱりおいしいですねえ、と言いながら池田氏はまたワインを飲み干した。急性アルコール中毒をおこさないか、非常に心配だ。
「え、いけだしってうちらよりもひとつしたなん?」
「そうですよー。私は今、三年ですから」
「がーん。ためだとずっとおもってた……」
頬を両手でおさえつけながら三上さんは言った。カリメロそっくりだった。
「三上さん、ちなみに浦町も三年だから」
「ええええええ! しんじられない」
俺だって本人から直接聞くまでは信じられなかった。一つ下なのに、あんなにしっかりしている女性は、初めてだ。
「ちなみに私も平岡くんと一緒なんだな」
ゲリラのごとく存在感を消していた前島も、嬉しそうな悲しそうな顔で、言った。
「じゃあ、四年生は俺と前島と三上さんで、三年生は池田氏と浦町ってことか」
「私も四年生だよ」
伊狩さんが間髪いれずに手を挙げた。艶やかな黒髪に店内の照明がうっすら走っている。
「私も四年だよ。結構、四年生が多いみたいだね」
「ちょうどいいじゃないか。みんなで行ってくるといい」
自分はいけないのに、どうしてこうも楽しそうにできるのだろうか。自分を慕ってくれるメンバー同士の交流に、喜びを見出しているのかもしれない。
「ちなみにどこに行くんですか」
「ん、それは僕がこれから教えてあげようと思ってね」
そのわずか一瞬。先生が言い終わった刹那、かずかに一之瀬さんの顔に翳りがさしたのを、俺は見逃さなかった。生理的嫌悪とも呼べるその表情は、彼女らしくないなと思った。
「どこに連れていこうと思ってるんです?」
「うん。『ドリームランド』だよ。君もよく知ってるだろ?」
やっぱり、といった感じで、一之瀬さんは深々と呆れてみせた。一之瀬さんは何度も行っているのだろうか。もしかしたら先生とはその関係の知り合いなのかもしれない。
「なんでまた、ドリームランドなんかに」
「他の場所よりもふさわしいと思っただけだよ。あそこなら、誰もいないだろう?」
「みんなは、誰もいないところに行きたいの? そう考えてるんだ?」
「そうなんだよー。いい写真には、人がその中に写ってちゃいけないし、絶好の機会だと思うんだ」
「だれもいないせかいって、あこがれだったんよ。いつかいってみたかったし」
「考え事をするにももってこいだと思いますしね。私は別に反対しませんよ」
「私も、興味あるからいいかな」
それぞれが思い思いの言葉を口にする。俺から少し無理に誘った感はあったものの、結局それは一人一人が考えて賛成してくれていたのを知ることができて、内心、嬉しかった。はっぱ隊の曲を聴いているくらいYATTA!という感じだ。
「それなら止めないけどね」
「何かあるのか?」
「いや、別に。本当にそういうところに行きたいと思ってるのかなって」
「当たり前じゃあ! 俺らの決意はすっごく固いんだ」
ぐっと拳を握ると、手のひらと指の痛みと共に、現実感が増してくる。気合十分、あとは実行あるのみだ。
「はい先生。そのドリームランドにはどうやって行くのでしょうか。よろしければ先に教えていただければ、交通費とかも考えてお金をおろしてくるんで」
「ああ、そのあたりは心配ないよ。『ドリームトレイン』で行くんだ」
「ドリームトレイン?」
和訳すると夢列車。和訳するとどこかうさんくさくなる。和訳するとしょぼい。和訳すると、まるで遊園地のアトラクションみたいな感じがする。
「そもそも先生、ドリームランドってなんすか。それをまず教えてもらわないと、何が必要で何ができるのかわからないですよ」
放浪をするのだからそのドリームランドにずっといるわけではない。ドリームランドがどこにあるかによって、北にいくのか西にいくのかはある程度決めることができるけれど、そこから先はまだまだこれから決めるのだ。
「ドリームランドについて、か。これはうまく説明できないな。ごめん」
ただし、と言って、先生は真剣な表情でワインを一口飲んだ。二本目のマグナムはもう残り三分の一もない。
「僕の考えなんだけどね、君達はまずドリームランドに行くのがいいと思うんだ。別のところに行きたければ、それはもちろん自由に行ってかまわない。ただ、ドリームランドはすごいところなんだ。きっとそこでも何かを見つけることができると思うよ」
「へえ、すごいところなんですね、そのどりーむらんどって」
三上さんの目がそろそろやばくなってきている。体の揺れも大きくなっていて、時折テーブルや背もたれにぶつかっている。セミロングの黒髪もそれにあわせて揺れるものだから、なおさら危なく感じるのだ。
「じゃあ、そこにまず行くことにしますよ」
「うん。そうするといい。平岡はいいやつだな、まったく」
「アリガトウゴザイマス。先生、なんで誉められてるのか分かりませんよ!」
「あはは。平岡は誉めたら伸びるタイプだと思ったからね。それだけだよ」
そう言われて悪い気はしない。むしろ嬉しい。これが人気の秘訣か、と思った。
「で、そのドリームトレインっていうのはどこから乗るんですか。なんかローカル線っぽい名前だから、電車で乗り継いでどこかの駅までいかなくちゃいけないんでしょ?」
「それは当日教えてあげるよ。事前に言ったらつまらないじゃないか」
「そんなとこ秘密にしてどうするんすか」
「旅を楽しませるための演出だと思えばいい。ほら、そうしたらどこから乗るのかなんて気にならなくなる」
いやいやいや、なりませんからそんな。それで気にならなくなったら、ラーメンズだってチャップリンだってヒットラーだってびっくりですよ。
「じゃあ当日楽しみにしてますから。見送ってくれるという意味でいいんですよね!」
「うん。そのつもりだよ。僕も本当はいきたいんだけどねえ」
ガタガタ、と絶妙なタイミングで三上さんが席をたった。慌しく店の奥に去ってゆく。
「トイレか?」
「飲みすぎてたしね。大丈夫かな。あたしちょっと見てくるよ」
伊狩さんが三上さんの後を追ってゆく。その後には奇妙な静けさが残った。
「こりゃ、今日はお開きって感じですかね。時間もちょうどいいみたいだし」
マグナムもあと一、二杯程度にまで減っていた。いったい誰が飲んだのだろう。
「じゃあ平岡さん、ぐぐいっといっちゃってくださいよ」
悪戯少年のような顔で池田氏がお酌してくる。その手の形の美しいこと。指先までぴんと伸ばして、やらしい。
「馬鹿いうんじゃないよ。もう俺だって飲めねーって」
「まあまあ、平岡さんなら飲めるって信じてますから」
そう言われたら飲むしかない。ええい、われ等の前衛、渡政よ! 心の中で叫びながら、俺はグラスを垂直になるまで掲げて、その中の赤いワインを、喉の奥まで流し込んだ。顔の火照りがさらに加速して、どこか遠いところまで飛んでいけるような気がした。
行こう、あの空の彼方へ。

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