「僕たちは歩いてゆく。」第六話:サイゼリアだって大学生には贅沢

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「みんなに紹介しよう。僕の助手の伊狩くんだ。まあ助手って言っても、研究室をもっていないから、お手伝いさんみたいなものだと思ってくれると分かりやすいかもしれない」
「先生! それはメイドってことですか!」
まっさきにツッコミをいれたのは池田氏だった。
今日は皆が合流しやすいということで、大学近くのサイゼリアで食事をすることになった。店内は学生の群れで騒々しく、聞き耳をきちんとたてないと話し声すら聞こえない。
遠くからコールをかける声がする。興味が無いので別にコール自体はかまわないのだけど、自分たちの空間を侵食するのは許せなかった。

「先生、失望しました……」
というのは三上さん。ここに浦町がいたら、きっと昼ドラもびっくりな展開があったに違いない。
「皆さん、とっても想像力豊かな人たちばっかりですね」
当の本人は、ぽえぽえした空気を醸しだしながら、空気を理解していないのか、マイペースなのか、菩薩のような笑みを湛えながら先生の隣に座っていた。首筋で切りそろえられたストレートの黒髪に、笑顔がよく映えている。
「言っただろう? みんな個性的だって」
先生は、子供が悪戯に成功した時のような顔をしながら、『伊狩くん』と紹介した女性と顔をあわせて笑っていた。
「先生、答えになっていません! どういうことですか!」
そこで怒りだす池田氏も池田氏だなぁ。傍観している俺としては若干冷め気味だった。
「まあまあ、みんなが思っているようなやましいことはないから」
「人気ものなんですねえ、先生」
どこか違う空気が失敗したマーブリングのようにぐるぐると絡み合って、しかしそれでも一つの調和がとれているような、妙な感覚をおぼえた。それは中心に先生がいるからか、それとも違う何かがそこに存在しているのか。

「ま、改めまして。伊狩ユイ(いかり ゆい)と申します。歳は皆さんと同じだと先生から伺ってます。ふつつかものですが、よろしくお願いします」
ぺこりと頭をさげるその仕草が、まるで日本人形のように愛らしくて、皆毒気を抜かれてしまったように呆然とした表情をみせていた。なかなかやるな、ユイ氏。
「あ、ねえ、伊狩ユイってさ、本名?」
「はい、そうですけど?」
俺はある一点に気づいて、思わず手をあげてしまった。
「あ、ごめん。いやね、『いかりゆい』って、エヴァンゲリオンにでてくるキャラクターと同じ名前じゃん? それで、ちょっと」
ああ、と納得したような声があがる。俺たちの世代なら、エヴァンゲリオンは社会現象にもなったし、知らない人はいないのではないかと思うくらい有名な作品だ。
「よく言われるんですよ。でも、実際はただの偶然です。『いかり』の漢字も違いますしね。アニメの中に入っていって、シンジくんをもっと可愛がってあげたくなります」
「あ、その気持ちすごく分かりますねぇ。私もああいう人を見ると、ちょっと世話を焼きたくなりますから」
さっきまで敵意をむき出しにしていたにも関わらず、少し会話をしただけで池田氏は気を許してしまったようだ。もっともそれが彼女のいいところであり、この輪の中で話題にのぼる理由の一つでもある。決していじっても怒らない、というわけではない。
「池田さんと伊狩くんは、趣味が似てると思ってたんだよね。うんうん、すぐ仲良くなると思った」
本当ですか先生、ノリで言っているのとは違うんですか、と聞きたくなった。

お互いの自己紹介が一段落したところで、メニューを開いて各々食べたいものを決めた。
「あ、うちこれ飲もうっと」
「……え、三上さん、それ一人で飲むの?」
三上さんが指さしたメニューは、マグナム、だった。1.5リットルの超大きいワインで、さすがに一人で飲んだら三日酔いにでもなるんじゃないか、と思われる。
「一人じゃなくてもいいよ。というより、誰か飲むでしょ?」
「あ、じゃあ私もいただきますよ」
池田氏が嬉しそうに手をあげる。
「先生も飲みますよね?」
「うん、いいよ。僕もいただこう」
「あたしも飲みますよー」
先生とユイ氏も賛同し、俺も含めて五人でマグナムを飲むことにした。五人なら飲みきれるだろう。
「じゃあ、これで」
みんなの笑い声が、じょじょに、じょじょに、大きくなってゆく。このまますべてを飲み干して、窓の外へと捨ててしまいそうな、そんな気がした。

 個人的な独断と偏見なのだが、サイゼリアで飲むワインは、普段とは違う酔い方をする、と思う。ぐびぐび飲んでいるうちに、気づいたらマグナムが空き、もう一本マグナムを注文するほどのハイペースで、完全に五人は酔っ払いモードに突入していた。
「せんせー、ほらほら、のみたりないんじゃないですか?」
と、目をブリリアントに輝かせながらグラスにワインを注ぐ三上さん。真っ赤な顔して虚ろになっている池田氏、笑顔が絶えないユイ氏、いつも通りの先生、お酒を飲んでいないのに変な動きをする前島、酒が入ってもどこか客観的な俺。
「そういえば先生、あたしの友人も旅に参加させてもいいですか?」
ユイ氏が両手にグラスを持ちながら、少し眠そうな目をしながら笑った。
「ああ、いいと思うよ。誰だい、それは?」
「友達です。横田って言うんですよ。大学中退しているんですけど、彼女も誘ってみたくって」
「別にいいんじゃない? 人数は多くて困ることはないだろうし!」
俺も賛成だった。こうやって知らない人同士が仲良くなる機会なんて滅多にないだろうし、悪いことじゃない気がする。
「ゆいちゃん、ともだちおおそうだもんね。うらやましいなあ」
すっかり出来上がっている三上さんが、甘い声をだす。伊狩さん、と呼んでいたのに、もう『ゆいちゃん』と呼んでいる。女の子同士は仲良くなるのが早いんだな、と思った。

気づけば回りの声は気にならなくなっていて、自分たちの世界が形成されていた。暑いくらいの暖房も、何回も鳴る呼び出し音も、せわしなく動く店員も、何もかもが蚊帳の外。これがいい、と思った。そしてこれが一つになるということに違いない。
「先生は逆に少なそうですけどね」
「こーら、平岡。それはどういう意味だ」
深い意味は、まったくない。あえて言うのであれば俺の勘、である。
「でもさでもさ先生。携帯が十ヶ月で一万円とかありえないでしょ、ぶっちゃけ。なんでそんなに携帯代が少ないんですか」
「いや、僕から発信することがほとんどないんだよ」
「確かに、あたしにもあまり電話してきませんしねえ」
できるなら。携帯電話なんて持ちたくない、と先生は言った。束縛されているようで嫌だ、というのがその理由らしい。
「あったら便利だっていうのは分かるんだけどね。どうもね、苦手なんだ。ただ緊急の連絡とかあった時にはどうしても必要だろう? だからしょうがなく持っているんだよ。こんな機械を持つことで自分の行動を制限されるのは、おかしいと思わないかい?」
皆が口を揃えて『おかしい!』と叫んだ。そのわりにはちらほらと携帯を見てメールチェックをしているのは滑稽なのだが、あえて何も言わない。
「昔はね、携帯なんてなかったんだから。ポケベルもない、あるのは家の電話だけ。誰が取るか分からないから、恋人ができたってまず電話なんてかけられない。だからこそすぐに会いたいって思うんだよね。
ところが今はそうじゃない。携帯があるからすぐに連絡がとれる。だからこそ逆に連絡がないと不安になる。『もしかしたら浮気しているんじゃないか』とか、『事故に遭ったんじゃないか』なんていらぬ心配をして神経を磨り減らしている。ばっかじゃないのって思うんだよ。だからいいかい、みんな旅にでたら携帯の電源は絶対に切るんだよ。そうしないと旅の意味がないからね。旅にでているというのに、携帯電話を気にしていてどうする!」
どん、とテーブルをグーで叩く先生を見て、幼い頃見た、居間で一人酒をしている親父の姿を思い出した。

ふと、どうして自分はこうも一つのことに集中できないのだろう、と思った。ずっとそう。何かに集中したいのに、どこか一歩ひいている自分がいる。だからこそ余計なことを考えたり、昔のことを思い出したりする。
悪い癖だから、しょうがない。昔からだから、しょうがない。簡単に人間は変わらない、変えられない。
だからこそ自分をうまく受け止めようと努める。それくらいなら、できるかもしれない。

「あ、先生、そういえば」
くねくねと動いていた前島がぴたりと止まり、挙手をして自分をアピールしていた。
「どうしたんだい、前島さん?」
「今先生の話を聞いていて思ったんですけど、どうしてリレー小説の中に、携帯電話を使ったシーンがないんでしょうか!」
はっとした顔で、先生が動きをとめた。目をかっと開いて、ややもすれば白目になりそうな顔つきだった。
「いいところに気がついたね。そうだよ、そこなんだよ!」
先ほどよりも大きく拳をテーブルに打ち付けた先生は、まったく痛そうなそぶりを見せず、何かをひらめいたように目を輝かせた。
ちなみに、今のリレー小説はどんな流れになっているかというと、秀一という青年が佐多美月という女性に恋し、理由は不明だが首を切って殺害、美月の妹である加奈子という少女とストーリーが展開している状態である。

「いいかい、携帯電話というものは、そもそも共有することを前提として使われていない。つまりそこには個人しか介入するものがなく、携帯は個人のカテゴリに属するものとなっている。電話をかければ携帯を所持している本人がでるのは当たり前、ハガキと違ってメールも差出人や内容を誰かに見られることもない。そこには完全なる個が成立している。
だから僕は携帯が嫌いなんだよ。それはプライバシーを侵害したいという理由ではもちろんなくて、『集団』を考える時に携帯電話はまったくをもって不要なんだ」
ふとまわりを見渡せば、全員が先生のそのか細い声に全神経を研ぎ澄まし、耳をかたむけていた。もちろんそれは俺だって同じ。今この空間は、サイゼリアの中に存在する俺たちの輪、という集団から、さらに先生という個人が繰り広げる世界が、あるのだ。

「例えば壁小説や落書きを考えてみよう。これは誰もが目の触れることのできる場所につくられるところが一つのポイントなんだ。
『今日カレーを食べた』という落書きがあったとする。それに対して別の誰かが『俺はシチューを食べた』と近くに書く。そしてさらに『俺は何も食べなかった』『落書き厳禁』『とか言っているお前が書いてるではないか』なんてどんどん書き連ねていったらどうだろう?
これらの落書きすべてを一つの作品であると定義する時、その作者は誰なんだろうね。一番最初に落書きをした人かな? いや、違う。この作品に作者はいないんだ。落書きをした誰もが作者だから、一人が主張できないんだよ。
これが集団制作ってやつなんだ。僕が目指しているのはそこなんだよ。そしてみんなが演習でやっているリレー小説もまた同じで、書いている人は誰かは分かるけれど、完成したその作品を誰が作者だと言えるだろう。言えないよね。みんなで作っているんだもの」
誰もが首を縦に振りながら、先生の話に聞き入っている。やっぱり、教授は違う。その口から紡ぎだされる知識は伊達じゃない。

「小林多喜二、前に扱ったね。彼の作品である『壁にはられた写真』って作品、覚えているかな?」
「あれですよね、『ワタマサよッ!』ってやつですよね?」
そう答えたのは前島だった。三上さんも思い出したように、大きく相槌をうった。
「共産党がどうのって話やんな? みんなで偉い人のところに押しかけて、わーっとやっちゃうやつ」
「うんうん、真面目に聞いていてくれてるみたいだね」
「あったりまえじゃないですか。先生の話、面白いですもの。親衛隊ですから!」
池田氏がここぞとばかりに声を張り上げた。言いたかったのはきっと『親衛隊』の部分だろう。奥ゆかしいやつめ。
「ありがとう。話を戻すけど、あの作品の序盤で、写真が貼られた後に誰かが落書きをしただろう? 『ワガ恋人!』とか『前衛渡政だ!』とか。ほら、リレーしている。
プロレタリア文学っていうのは、このように集団から成り立っているんだ。だから作者不明の作品も少なくない。
そして、だいたいが労働者や教育を受けていないため言葉で表現できない人たちについて書かれているんだよ。下の意見を、下の目線で下から上にあげる。これが、とても大切なことだったんだ」
知らないことが、多い。先生の授業を受けているし、こうやっていつもいろいろな話を聞いていたから結構たくさん知っているつもりだったけれど、所詮はつもりでしかなかったというわけだ。
「それでね……」
そこで、機械音がチロチロと鳴った。携帯にはじめから入っている着信音だ。
先生が鞄を取り出し、自分の携帯を手にした。予想通り、先生のだったらしい。少し意外そうな顔をして、先生は電話に出た。

「ああ、もしもし。うん、今ね、近くのサイゼリアにいるんだよ。そうそう、たぶんそこのことだと思う。今から来るかい? あ、じゃあ待ってるよ。うん、奥の方の席にいるから。入って右に進んで、その突き当りあたりだよ。分かった、じゃあ早くおいで」
パタン、と先生が携帯を閉じると、安堵にも似た吐息が、皆の口から溢れた。緊張の糸が完全にほどけてしまったようだ。操り人がいなくなったマリオネットのように、だらんとその身を背もたれにあずけている。
「いやあ、もしここに浦町がいたらさぞや白熱した議論が交わされたんだろうなあ」
ぼそっと呟くと、本当に今浦町がこの場所にいないのが悔やまれてしょうがない。二人が繰り広げるその世界を見てみたい。それは俺だけじゃないはずだ。
「あ、今のもしかして浦町からですか?」
「いや、違うよ。別の関係で仲良くしている女子学生だよ。すぐ来るらしいから、そしたら紹介してあげるよ」
「なんか一日で知り合いがえらい増えた気がしますねえ」
池田氏が、しかしそれが嬉しいように、真っ赤な顔のまま、グラスに半分ほど入っていたワインをぐいっと一気に飲み干した。見方を変えると、お酒が入らないと知らない人と話せないようにも思えた。もしもこれが三上さんだったら『しらふじゃ生きられない世の中ですから』なんて言いながら、同じように飲み干すのだろう。
「それは、まあ楽しみにするとして、先生。プロレタリアの話は分かりましたけど、リレー小説に携帯がでてこない理由、ちょっと弱い気がするんですけど……」

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