「僕たちは歩いてゆく。」第九話:日常の中の非日常

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「先生、一言だけいいですか」
「なんだい、平岡?」
「いやね、いろいろと突っ込みたいところが満載なんですけどね」一度深呼吸してから、言った。「どうしていつもの教室に続くはずのドアが、車内に繋がっているんですか!」
「本当、びっくりですよ」
「小説の中の世界だけだと思ってたけど、違かったんやな」
そこは、普段火曜日六限の演習で使われている582教室の中ではなく、誰もいないがらんとした電車の車内であった。窓の外は霧でもかかっているのか、真っ白で何も見えない。風の音もない、町の喧騒もない、ホームのアナウンスもなかった。
無、だと思った。直感的に、その向こうは白色しかないのだ、と思った。絶対的に、それは覆すことができない。そこに存在してしまった事象は、ねじ曲げることすら許してはくれないのだ。
雪景色だったら、その色は美しいと感じたのだろう。『校舎の冷たいドアを抜けると雪国だった』なんて川端康成の一フレーズをもじる余裕もあったかもしれない。
しかし温かくもなければ冷たさも感じられない白に、抱く感情は決して正ではない。負でもない。うまく言葉のできない世界の中で、車内だけが現実味を帯びているようだった。
「太宰の心の中ですら、きっとこんなにも澄み渡っていなさそうだなー」
浦町が感慨深く頷くと、しかし俺はそれに疑問を感じた。混沌としすぎて、混じりあいすぎて、俺たちの目では認識できなくなっているような気がしたのだ。
「不気味な場所だね」
「なんか怖い。死んだらこういうところに行かなあかんのかな」
「いいところじゃん。煩わしい外部からの刺激がないんだしさ」
メンバーの中で、唯一横田さんだけが、ポジティブな反応を示した。
なるほど、そう考えれば少なくともこれから向かうドリームランドまでの道程は、俺たちだけで満喫することができる。車内で携帯を使って話し出すサラリーマンもいなければ、席を一人で占領している不良もいない。嘔吐物を見ることもなければ、スポーツ新聞の一面が目の前に広がることもないのだ。
ただ、それは、余りにも現実離れしすぎている。まるでいきなり猛獣の中に投げ捨てられた子供のような悲しさと恐怖がそこに漂っていた。せめて、光を。車内以外に確認できる現実が無ければ、そしてこれがずっと続くのであれば、きっと誰かが発狂してしまうだろう。そんなことはあるはずがない。頭では考えていても、体の震えは止まらない。止められないのだ。
「心配することはないよ」
今まで沈黙を守っていた一之瀬さんが、なだめるように、大きな声で言った。
「大丈夫、今だけだから。電車が出発さえしてしまえば、周りの風景はきっとみんなが知っているようなものに変わるよ」
「ええと、待って、整理させて。つまり、これが『ドリームトレイン』ってことだよね」
大きく頷く一之瀬さんを見て、なるほど、一度ドリームランドに行ってしまえば怖くもなんともないということなのか、と理解した。
「なんか」池田氏が気の抜けたコーラのような声で言った。「思っていたのとは全然違いますねえ」
誰もがそう思っていることだろう。遊園地のアトラクションを想像していた俺にしてみたら、これがドリームトレインだとはっきり言ってくれなかったら、信じることはできなかっただろう。
「先生の趣味っぽい気がする」
「うん、確かに」
前島の一言で、全員の顔に笑みが浮かんだ。少なくとも先ほど感じていた怖さは、拭うことができたようだ。
「じゃあ、ほら、みんな乗り込んで。出発まで少し時間はあるけれど、とりあえず席に座っているといい」
先生が促して、ばらばらと順番に列車の中へと入っていく。俺はみんなが全員入ったのを確認して、最後に電車の中へと進んだ。
「先生、何を考えているんですか」
「うん? なんのことだい?」
「……いえ、なんでもないです。ただ、あまりにご都合主義というか、突飛だなと思って。俺たち、こんな非現実をすんなり受け入れているし」
普通ならありえないと思うだろう。世界の法則が目の前で歪んでいるのだから。いつもなら無機質な教室に続くドアを開くと、いきなり車内に続いているだなんて、常識人にしてみたら馬鹿げているとしか言いようがない。
「平岡、これからどこに向かおうとしているんだい?」
諭すように、先生は言った。
「ドリームランドですけど」
「そう、ドリームランド。夢なんだよ、平岡たちが行こうとしているのは」
ドアに寄りかかって、腕を組む杏山先生。どこか上から目線のようで、しかしその姿勢はいつもよりも低いように感じた。
「夢というものは非常に断片的だ。一度逃したらまた捕まえられるかというと、そうでもない。しかし、平岡が意識することでそれは実現する。可能なんだよ、本当は。
ご都合主義、と言ったね。うん、確かにその通りかもしれない。いろいろな偶然がぴったりと重なってしまったわけだからね。
偶然は必然だ、なんて言わないけれど、しかしそこには何かしらの繋がりがあるんだ。なんだと思う?」
「……リレー小説ですか?」
「いや、それは偶然の一つにしか過ぎないんだよ。根底にあるものじゃない」
「じゃあ、杏山先生ですか」
「それはきっかけだね。確かに僕という存在を中心にして、平岡と伊狩くんや一之瀬さんが出会ったのは確かだろう。でも、そうじゃないんだ」
さっぱり、分からない。先生が言わんとしていることが、さっぱり分からない。つまり何が言いたいのだろうか。今の俺には理解できない。
「つまりね、僕が言いたいことは……」
「先生! もう発車の時間ですよ!」
後ろから一之瀬さんが叫ぶ。気づいたらすでに五分が過ぎていた。
「あっ、じゃあ先生。帰ってきたらその答えを教えてください」
「いいよ、分かった。楽しんでおいで」
杏山先生が一歩下がる。
「一言だけいうと」右手を口元にもってきて、先生は言った。「人は壁にぶつかるからこそ成長できるんだよ」
先生がドアを閉めると、そこにはまるで白い世界の鳥篭に囚われたような、奇妙な錯覚だけが残った。

 がしりとドリームトレインが揺れると、ゆらりと体に重力を感じた。動き始めたのだ。
窓の外は相変わらず、白い世界が覆っていて、よく見えない。
本当に、非現実すぎる。
「にしてもさ」一呼吸おいて、言った。「一之瀬さんは、どうしてドリームランドに行ったことがあるんだ?」
「ああ、それは私も気になっていたところなので、ぜひ教えていただければと思いますね。どうやってドリームランドのことを知ったのでしょう?」
みんなが一之瀬さんの方を向く。転校生が一時間目の休み時間に、クラスのみんなに机を囲まれる姿に似ていた。
「私は、その、杏山先生に誘われて一度だけ行ったことがあるんだよ。先生、きっと道案内ってことで私を誘ったんじゃないかな」
どこか戸惑いを隠せない、彼女の少しつりあがった目が、何かを探してあたりをさまよった。
「ま、大切なのはそこじゃないから、いいんじゃないかなー」
浦町が顎に左の人差し指を当てながら、言った。
「聞きたいのはね、この白い風景はあとどれくらいで晴れるのかなってことなんだよー」
「それなら大丈夫だと思うよ。たぶんもう少ししたら田舎の町並が広がるはずだから」
すっと一之瀬さんが窓の向こうを見つめると、確かに白いもやの先に、木のような茂みがちらちらと見えた。
「あ、なるほど、確かに何か見えてきましたねえ」
「どういう仕組みになってるんだろ?」
「それはドリームトレインなんだからつっこんじゃいけないと思うよ」
伊狩さんがどこか楽しそうな声をあげた。確かに、夢列車なのだからそのあたりは気にしたら負けだ。
じょじょに窓の外の視界がひらけてきて、普通の電車のような揺れも感じるようになった。電柱のようなものが見え、しばらくすると平屋の屋根と田舎道が現れてきた。
「なんだかサイレントヒルの世界にいるみたいですねえ。いきなり裏の世界に飛ばされたりして」
「それは嫌やな……うち、ホラーゲームってやったことないし」
「そのわりには、タイトル知ってるんだな」
「友達がこの間怖いって話してたから、たまたま知ってるんよ。他にもクロックタワーとか、SIRENとか知ってるよ」
「お、三上さん、なかなか知ってるじゃないですか。今度一緒にやりません?」
「池田氏がやっているのを、隣で見てるよ」
なんて微笑ましい二人の会話を聞いていると、もやは完全になくなって、バニラ混じりの淡い空が、頭上に広がっていた。
「なんだか、ようやく旅が始まったって感じがするね」
「そういえば、私、目的地を聞いていないんだけど、どこに行くの?」
横田さんが横から口を挟む。眼帯とは逆の瞳が、獲物を見つけた狼のように、鋭く輝いていた。
「ああ、ごめんね横田。あのね、ドリームランドってところにいくんだよ」
「ドリームランド? ネバーランドの間違いでしょ?」
そう呟いて笑う横田さんに、俺は不思議な気持ちを抱いた。
ドリームランドと、ネバーランド。
「横田さんは、どうしてネバーランドだと思ったんだ?」
「ん? 別に理由はないよ。そんな気がしただけ。だってほら、さっきの白いところを雲に見立てたらさ、それを抜けたらウェンディたちはネバーランドにいくじゃん」
「ピーターパンの話やよね、それ」
「そうそう。ネバーランドって歳をとらない夢の国でしょ? ほら、ドリームランドって聞いたらネバーランドだって言いたくなる」
なるほど。でも、雲を抜けた先がこんな日本の田舎じゃあ、ネバーランドにいるのは海賊じゃなくて倭寇かもしれない。戦国時代にタイムワープ、なんて夢のない話だろう。
「てことはさ」浦町が楽しそうに言った。「ネバーランドに行ったら、うちらピーターパン症候群のままいていいってことだよね!」
「ああ! それいいかも! 賛成」
と三上さんが大きな声をあげる。電車の中だということをすっかり忘れているような声だった。おそらく一番端の車両にまで声が届いただろう。
「……そういえば、話がらりと変わるんだけど、俺ら以外にこのドリームトレインに乗客はいないのかな」
「いないんじゃないですか? だってこんな不思議な電車に、他の乗客がいたら夢がないでしょう。ドリームトレインなのに」
私がちょっと見てきますよ、と言って、池田氏が隣の車両へと移動していった。
「思うんだけどさ、みんなドリームトレインに夢を期待しすぎてないか?」
「どうしてそう思うの?」
前島がカメラをさすりながら言った。すでに数枚写真を撮ったらしく、ちらちらと液晶モニターを確認している。
「いや、だってドリームトレインっていうのはただの名前でしょ。命名者が勝手に夢列車ってつけただけなんだから。そこに必要以上の意義とか理由ってない気がするんだよね。いい名前思いつかねー、よしじゃあウケが良さそうなドリームトレインにしよう、みたいな」
「平岡くんって、意外と夢のないことを言うんだね」
伊狩さんが笑った。なんだかさっきからずっと笑っている気がする。そんなに旅が楽しいのだろうか。誘ってよかった。
「いいじゃん、それこそ。ドリームトレインは、きっと旅を楽しくするスパイスだと思えばいいよ。山手線に乗って、そこから小田急線に乗り換えて、なんていうよりドリームトレインで、って言った方が、不思議な感じがして楽しそうじゃない?」
うん、言おうとしていることはとてもよく分かる。でもそれをすんなりと受け入れてしまうのも、危険な気がする。何が危険なのかは分からないけれど。
「皆さん、ちょっと、ちょっと」
と池田氏の声がした。驚いているような、しかし普通のような、マイペースな口調だった。
「どうした、他に人でもいたのか?」
「ええ。そのとおりなんですよ!」
池田氏が車両に戻ってくると、その後ろに女の子がくっついて来ていた。
「えっ? 加奈子ちゃん?」
一番驚きの色をみせたのは、伊狩さんだった。座席から荒々しく立ち上がり、少女の前で膝をたてて、その両肩を握り締めた。
「あー、ユイさんじゃないですか! お久しぶりです」
伊狩さんに加奈子と呼ばれた少女は、とても嬉しそうに目を細めた。目のところで一文字に切り揃えられた黒髪に、カチューシャがよく似合っている。
「……他にも人がいたなんて」
と驚いている一之瀬さんと横田さん。新参コンビは、妙なところで息が合う。
「加奈子ちゃん、どうしてここにいるの?」「え、いや別に特に理由はないんですけど」
右手をふりふり振りながら、彼女はちんまりと笑った。
「あっ、ていうのはちょっと語弊があって。杏山先生がみんな旅にでるから一緒に行けばって誘ってくれたんですよ。それで、私は前の駅から乗ってきたので、ずっとそのまま乗り続けてたんです。前の日あんまり寝ていなくて、揺られながらうとうとしてたらなんか声がしたので来てみた、ってわけなんです」
そうだったんだー、とまるで可愛い我が子を目の前にしているように、伊狩さんが優しく微笑んだ。出会えてよかったね、と言いたくなる表情だった。
「伊狩さん、その子は?」
「ああ、ごめんなさい。この子は加奈子って言うんですよ。佐多加奈子(さた かなこ)です」
ね、と少女に伊狩さんが軽く聞くと、はいっ、と元気な返事がかえってきた。
「さた、かなこ?」
「どこかで聞いた名前だよな」
この間から何度か聞いた気がする。そう、ええと、確か今の演習のリレー小説に登場する女の子が、確か佐多美月と、佐多加奈子だったはず――
「……マジかよ!」
「リレー小説にでてくる、あの佐多加奈子?」
瞬時に、演習をとっているメンバー全員から感嘆と驚愕の声が漏れる。偶然が、重なりすぎる。
「本人?」
「いや、それはさすがにありえないだろう。いくらなんでも、実在しているんだし」
「うん? なんの話をしているんですか?」
とうの本人は、わけが分からないと首を傾げた。おかっぱの髪が、あわせてなびく。
「加奈子ちゃんってさ、今何歳?」
浦町が加奈子の頭を撫でながら、まるで子供をあやすように聞いた。
「今ですか? 一応、二十歳ですよ」
「なになに、一応って?」
「見えないってよく言われるんですよ」
「そうなんだー。似た者同士だね」
後ろから加奈子を抱きしめる浦町。まるで仲の良い姉妹のように見える。
「あれだよね」伊狩さんが、何かひらめいたようで、手をポンと打ちながら笑った。「加奈子ちゃんって、市松人形みたいだよね」
「ああ、確かに、うん、そう思う」
着物を着せてみたい、と思った。赤い色の、人形屋さんに並んでいそうな着物を着せて、ちまっと座らせてみたかった。
「『ぱっつん』でいいじゃん、呼び方」
「『市松ちゃん』も合ってるよねえ」
勝手にあだ名をつける浦町と伊狩さん。
「『ぱつ子』の方がかわいくない?」
と提案してみたが、即却下されてしまった。かわいいと思うのに。
「で、私の意見というものは反映されないのでしょうか……」
「嫌? あだ名で呼ばれるの」
私はあまりあだ名で呼ばれたことがないから羨ましいな、と横田さんが寂しそうに呟いた。
「別に、嫌じゃないですけど」
「じゃあ決定。『市松』ね」
決まり、と横田さんは市松の頭を撫で、カチューシャを取った。
「ああ、やめてくださいやめてください。私カチューシャが無いと、思考能力が三十パーセント低下しちゃうんですぅぅううう」
「いいね、その反応。先生とは違った萌えがあるよ」
横田さんから浦町にカチューシャがバトンする。
「萌えですか」
「萌えですね」
変なところで意気投合する二人。加奈子はぴょんぴょんと跳ねながら、カチューシャを取り返そうと必死になっていた。
「ぱつ子はなんか、可愛いやつだな」
「なんていうか、妹みたいやんな」
妹。確かにそんな感じがする。今のメンバーとはまた違った良さが、彼女の中にあった。
「それで」カチューシャをかろうじて取り返した彼女が、息を切らせながら、言った。「杏山先生はどこですか?」
「先生? いないよ。この旅には来れないって事前に言ってたから」
「がーん。そんな、杏山先生が来ると思ったから支度して来たのに!」
まるでカチューシャを守るように頭をおさえながらうずくまる加奈子の姿を見て、ちょっとかわいそうに思えた。
「まあ、それなら一緒に行こうよ。旅の用意、してきたんだろ?」
「あ、はい。バッグにつめてきましたけど」
「じゃあ、いいよね。ほら、座って」
伊狩さんが座席に座り、その横に加奈子を誘導した。皆が座席に戻り、そこからわいわいと歓談モードに入った。
俺の前には前島と池田氏がいた。前島が鞄の中から何かを取り出して、手の平に出した。
「前島、それ、何?」
「これ? これは干し梅だよ」
はい、と一粒くれたので、軽く口にいれて、噛みこんだ。おにぎりの中に入っている梅干しとはまた違った甘酸っぱさが広がった。
「うまいな。初めて食べた」
「え、平岡さん、今まで干し梅を食べたことがなかったんですか?」
「おう。あんまり梅とか食べないからな。おにぎりの具はいつも昆布だったし」
「勿体ないなあ。人生の半分は損しているよ、きっと」
そんなに? と三人で笑いあった。
「前島の鞄の中って、何が入っているんだ?」
「んー、普通だよ。服とかそういうの」
「ご飯とかは?」
「あんまし」
「なんで? みんなお菓子とか持ってきてるのに」
前島はもう一度袋を取り出し、干し梅を手の上に取り出して、見せてきた。
「手の中には干し梅が四つ、それで十分でしょ?」
「……へ?」
「そういうことだよ。うん、つまりはそういうことなんだ」
「なるほど。そういうことなんですねえ」
わけがわからない。
気がついたら、あたりはのどかな田園風景になっていた。ドリームランドに着くまで、まだまだ時間がかかりそうだった。

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