【短編小説】新緑の夕暮れ

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ふと立ち止まって空を仰ぐと、隠れゆく淡い夕日が、冷たい鉄塔を暗く照らし始めていた。
子供たちの笑い声が響く昼の喧騒は、空の陰りと伸びる影に合わせて去っていった。
そよぐ芝は光を受けて寂しく寝そべっているように見える。
どれだけ塗装の剥がれたこのベンチに座っていたのか――手にしたミネラルウォーターは、すっかりとぬるくなってしまっていた。

いくつも並ぶこいのぼりが力なく垂れて幾分とみすぼらしく感じるのは、風に吹かれすぎて疲れたのか、それともそう感じてしまう自分のせいなのか。
いずれにせよ、僕の目には、今日という日を終えて静かに眠ろうとしているように、映っている。

 

「ずいぶんと、懐かしい」
そう呟いてみたものの、返ってくる言葉はどこにもなく、代わりに乾いた風が優しく背中をさすって去っていった。
子供たちはもういない。子供の面倒を見る親もいない。
あるのは置き去りにされた遊具、薄汚れたゴムボール、遠くに見える弱弱しい街灯。

 

この街に帰ってきたのは、はたしていつぶりだろうか。
さっと考えるだけで、10年は経っているようにも思えるし、しかしそれはほんの少し前だったようにも思える。
時の過ぎ方が、あまりにも違うのだ。

 

目を閉じると、暗い瞼の裏にかすれた赤黒い斑が広がる。
少し、夕日を見すぎたのかもしれない。
指をあてると、なんだか涙が溢れそうで、しかし頬を伝うものは何もなかった。

子供の頃は、もっと色々と感じていた気がする。
色々なものに興味を覚え、体験し、それに対して感情を抱く。
オトナになると、こうもカラカラになるのかと思うと、あの頃早く大人になりたいと願っていた少年の自分に言い聞かせたくなる。
大人になるには少し、覚悟が必要だぞ、と。

 

この街を離れ、別の時間を生き、そして、戻ってきた。
この公園は、まるで変わっていない。そう思える。
自分だけが行き急いでいて、自分の周りだけがやけにゆっくりと思える。

だからそう、このベンチに座ったのもついさっきのようで、本当はずいぶんと時間が経っているんだろう。
懐かしさを感じつつ、改めて自分はオトナになってしまったんだと、強く知らしめされる。胸の奥がかすれるような気持ちは、そういえば長いこと忘れていたように思うのは、気のせいではないだろう。

 

 

「……何を考えているの?」
風のそよめきに乗って聞こえてくるのは、懐かしい響き。振り向かなくとも、目を開けて広がる柴に映える細く長い影で、どんな仕草をしているのか見て取れる。
今日は、帽子を被っていないようだ。
代わりに肩まで伸びた長い髪が、上下する肩の形に合わせて少し乱れている。
「待たせちゃってごめんね」
今度はよりはっきりと澄んだ声が、僕の胸をさするように寄り添ってきた。
肩から後ろを振り向くと、少し汗ばんだ小さな顔に、しっとりと夕日が陰を運んできていた。
まるで笑い出しそうに目を細める彼女を見ていると、僕の口元もわずかに緩む。

 

「そんなことないよ。今、来たところ」
彼女は静かに微笑みながら僕の横に腰かける。そよぐ風も、やわらかい。
陰る夕日が、僕の首にしりしりと触れてきて、どこかくすぐったくなる。
「明日、お父さん、ちゃんと来るって」
彼女は遠くを見つめながら、言った。ぴしゃりと、まずは一言、伝えておきたい。そんな感じだった。
「ありがと。楽しみだね」
僕は彼女の決意に、優しく応えた。そう、明日は――。

 

この街と別の時の中で、しかしこの街の匂いを求めたのだろうか、僕にとって彼女は、本当に眩しかった。
いつまでもこの笑顔が沈まぬよう、そっと左手に触れると、彼女は静かに僕の右手に指を絡ませる。
黒い髪も、光を浴びて茶色く透けながら、さらさらと肩で揺れた。
少し、風が強くなってきたのだ。

 

 

 

「……そろそろ行こうか。準備もしなくちゃいけないし」
彼女が音もなく立ち上がる。すらりとした細い足は、僕の言葉を待たず前に進んでいく。
やれやれ、と思いながら、でも悪くはない。
膝に手をつきながら立ち上がると、今日一番の風が僕の背中を押した。

彼女がいる。それだけで、こんなにも変わる。それはおそらく彼女でなくてはダメで。同じ街で育ち、そして出会った彼女でないとダメなんだろう。彼女がいるこの情景が、さっきまでの枯れた自分を、そっと隠してくれる。

 

そう、僕らはもうオトナで。その事実は変わらなくて。何を想っても、何を考えても昔には戻れなくて。
それであれば、遠い昔に焦がれながらも、前に進むしかなくて。

ふと背中に呼びかけられた気がして振り返ると、くたびれていたこいのぼりが、僅かだけ尾をひらひらと揺らしていた。
まるでいっておいでと、寂しく言っているかのように。

 

 

 

さよなら、こどもの日。そして、また今後。
気づけばまた僕らは出会うんだろう。それまで僕はどこまでいけるのか、次はどんな顔して会えるのか。
胸を張って久しぶりと言えるように、僕は湿り始めた空気を、静かに噛みしめた。

僕は、この街で、生きるために戻ってきた。
また、会おう。それまで静かに、おやすみ。

 

 

 

明日は、彼女の親に挨拶の日。
僕は、僕らは、この街で、生きていく――

 

 

 

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【あとがき】

約10年ぶりに、小説っぽいものを書いてみました。
書きはじめて思ったのは、言葉が出てこなくなったということ、そして昔のような感性では書けない、ということ。

10年の月日は、人を変えるのには十分すぎる時間で、一つの事象に対する感じ方もきっと変わってるんだろうな、と。
それであれば今の自分だから書ける書き方を試してみようかな、と。
昔の書き方を思い出すのではなく、今の自分だから書ける方法もある気がするな、と思って書いてみました。

相変わらずな感じが、しなくもないですが。まあ基本的なところは10年経っても変わらないんだなと思います。

今回は、復活した今の自分の心情も言葉に載せてみようとトライしてみました。
戻ってきたぞー!という喜びと、これからと、これからとがぐっちゃになってしまってどうしたら良いか分からないけれども、進まなきゃいけないんだって感じになれればいいなと思いつつ、ずいぶんと脱線したものだと(白目

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